どうも複雑な気分の七面鳥です
おそらく今回の記事は「トイ・ストーリー4」に対する否定的な意見を書いてしまいますし、めちゃくちゃネタバレしていくつもりなので未鑑賞の方は見ないほうがいいかと思います
以下感想、ネタバレ激しく注意
まず始めによかった点として映像表現の技術の進歩が半端じゃなかった
雨の表現や光の反射、特にすごかったのが全てのキャラクターの質感へのこだわりだったと思います
シリーズの主人公である「ウッディ」は体が綿でできているのは今までのシリーズでご存じだったと思いますが、顔がビニール?というかあの指人形とかの素材だと思うんですが、見ただけでそれと分かるんですよ
ヒロインである「ボー・ピープ」も陶器製であることが見ただけでわかるし、なんだったら触った時の硬さや冷たさまで伝わってきそうです
で、ここから先が言いたいことになるのですが
印象に残っている順なので正直読みにくいし伝わりにくいかもしれないけどそれでも書く
アホになったバズ
まず一つ目
バズのことアホにしたのは許せない
これほんと観た人全員思ったんじゃないか?
1の時の自分が「おもちゃ」じゃなくて「スペースレンジャー」だと信じ込んでいる時以上のアホになっています
正確には1の時は自分が「おもちゃ」であることを知らなかったので自身の設定に沿った行動や発言を繰り返していたために「おもちゃ」であることを自覚しているウッディ達から見たら滑稽に見えるというだけだったので「アホ」ではなかった。むしろ宇宙の平和を守るという信念のもと正義に向かう行動を考えて実行していた
2では連れ去られたウッディを助けるために仲間を奮い立たせ救出作戦を行い、飛行場でもプロスペクターをカメラのフラッシュで怯ませたり、走る旅客機のもとへブルズアイにまたがり駆けつけウッディとジェシーの窮地を救った英雄だった
3では保育園で不当な扱いを受けている仲間たちを代表して保育園の鍵付きドアを攻略して仲間を導いていく勇気と知恵と行動力を伴ったウッディにも引けを取らないリーダーだった
その彼がなんだ
内なる声に従う??
胸のボタン押してたまたまなった偶然の音声でうまくいくだけ???
はぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああぁぁ?????
まずウッディとバズの内なる声の会話がかみ合わないということにこっちは違和感があるわけ
なんでバズは「心の声」というか「自分の意志」がわからなくなってるんだ?
ジェシーに惚れたりしてる時点で心があって感情があって意思があるのは全てのおもちゃに共通なんじゃないんか?
ウッディだけに特別自分の意思があるみたいな感じになってるのも違和感があった
で、まぁ、フォーキーを助けるためにウッディが車から降りて朝になっても帰ってこないから、おもちゃ達がどうするんだー、ってなってるシーンでも
「ウッディ」ならどうする?となってバズが追い込まれてその「内なる声(笑)」に頼って考えなしに行動する
はああああああああああ???(2回目)
「ウッディならどうする」ではなくて「バズならどうする」が、なぜできなくなっている???
前作までは「ウッディ」がいなくても「バズ」がリーダーシップを発揮しみんなをまとめ上げて集団で行動できていたよね?
だからこそ「内なる声(笑)」に従った行動でうまくいくことにすごい違和感がある
監督?脚本家?ディズニー?の「こうすればおもしろいでしょ?w」みたいなものが透けて見える
「内なる声(笑)」はようするに「バズの思考、意思」、ではなく映画製作者の意思であり今作のバズはただの操り人形だ
度を超えたおもちゃたちの現実への干渉
これが二つ目
「現実」って書いたけどなんて表現したらいいのかわからないから「現実」とした
ようするに「おもちゃのルール」を破りすぎでは?ということ
実際には破っていないかもしれない
しかし今作のおもちゃたちはもう「グレムリン」の域だ
グレムリンを知らない方に軽く説明
自分も詳しくはしらないけど確かヨーロッパかそのへんのいたずら好きで機械を故障させたりする妖精だったとおもう
気になる人は自分でググって
おそらく今までの作中でも明確に「おもちゃのルール」が明言されたり何がアウトとかの線引きはなかったと思うけど、とにかく絶対なのは「人間が見ている前では動かない」ということ
今作はもうめちゃくちゃだぁ!
確かに人前で動いてはないけどさぁ
ジェシーはタイヤをパンクさせるし
バズは普通に大声出してボニーに忘れ物を思い出させるし
他のおもちゃたちはボニー父の車を暴走させるし
度が過ぎている、これにつきる
1でシドに対しておもちゃを大切に扱うようウッディが語り掛けたのはシドに対する罰であり、シドがまだ子供だったからセーフだと個人的には思う
子供時代の不思議な体験で済むし、仮に大人がシドから話を聞いても、子供特有の妄想くらいですませるだろう
記事書いてて思い出したけどたしか2もちょっとひどかった
ウッディのために道を横断しようと三角コーンに擬態した時すごい事故ってたな
あれもちょっと引いた
3はそんなことはなかったかな
ウッディの今後の活動もエピローグみたいに景品となったおもちゃを逃がし続けるものだったらきっと新たな都市伝説になるだろう
ウッディの選択
これが3つ目
「自分と遊んでくれない持ち主のもとを去って愛する人と自由に生きる」
この選択事態を否定する気はないです
自分の意思を尊重する、生きる上で非常に素晴らしいことだと思う
でも「トイ・ストーリー」でやる意味はありましたか???
「おもちゃの在り方」という題材を今までの「トイ・ストーリー」では扱っていたと思います
1では「自分以上のお気に入りができたらどうするか」
2では「子供と遊ぶだけがおもちゃの生き方ではない」
3では「持ち主が大人になった時のおもちゃの行き先」
今回の「トイ・ストーリー4」では?
「役割を終え、自由に生きる」と言ったところでしょうか
うーん、人間の定年退職後の生き方みたいだ
フィクションでファンタジーの「トイ・ストーリー」にこんなことを言うのも無粋だというのはわかったうえで敢えて言うけども
おもちゃに自由な選択はできない
おもちゃとして生まれた以上、持ち主の意思によって動かされるしかないのだ
それがわかっていたからウッディ達は人が見ていない時にどれだけ動き回って冒険しても必ず元の位置へと戻っていた
そして今回そのルールをウッディは自分の意思で破った
迷子のおもちゃとして生き、アンディにとってのウッディのような存在を増やすべくおもちゃと人間を引き合わせるような役目をになうようになった
いい話だと思う、「トイ・ストーリー4」だけで切り取ってみれば最高のエンディングだ
その世界では無数の「トイ・ストーリー」が生まれていることだろう
しかし私や多くの人が1,2,3と連続したトイ・ストーリーの世界を見てきている
幼少期のアンディがウッディたちおもちゃと幸せな時間を過ごしたこと、
ウッディだけは大学にもっていこうとするほど思い入れがあること、
そしてその想いをボニーが受け継いだように見えていたこと
それが「トイ・ストーリー4」では打ち砕かれた
ここではっきり言っておくがボニーに罪はない
女の子が女の子の人形を気にいるのは当たり前だ、ウッディで遊ばなくなってはいたがひどい扱いもしていなかったし、週に何度かは遊んでいる様子だった
しかしまぁウッディは目に見えて落ち込んでいた、そりゃそうだ、1番のお気に入りから補欠になってしまったのだ落ち込むさ
そして何年も前に突然離れ離れになってしまった素敵な女性「ボー・ピープ」と出会い、現在のほこりをかぶったおもちゃから脱却し自由に生きる決意をした、自由に生きる選択をした
その選択がたった一つの希望を失うことになるとは知らずに
もし、仮に「ボー・ピープ」を連れてボニーのもとへ帰っていたら?
連れていかずとも自由に生きる彼女を認め、ボニーのもとへ帰る道を選択をしたら?
5年間?10年間?補欠として辛い思いをするかもしれない
しかし
結婚したアンディがボニーのもとへ来て、自分の子供におもちゃをくれないか、と尋ねてきて、箱を開けるとそこにはくたびれたウッディの姿が……!!
みたいなエンディングが見たかったんだよ!!!!
でももう見れませええええん!!!!泣
なぜならウッディはボニーの所にいないからでえええす!!泣
おもちゃが本来できないはずの自由な意思決定をした結果でええす
もし「トイ・ストーリー4」でボニーのもとへ戻っていたらあり得た未来
ウッディの選択で消えた未来
私にとっての悲劇
みんなも映画館に行ってもやもやすればいいよ
では